2010年5月27日木曜日

初期研修医制度

 以前に少し触れました初期研修医制度について。ここではその是非は議論しません。この制度によって医師の「属する」という考え方に変化が出てきていることに注目します。また、この変化が大きな医療の問題をきたしていることを検討します。

 医学生は卒業するとほとんどが自分の大学の医局に入り専門科を決めていました。例えば、外科、眼科などなどです。その医局の人事で動くことは以前にも触れましたが、どんな研修をしてどんな医師になるかもその医局の方針に任されていたのです。例えば、眼科であれば目以外みなくていいと考える医局であれば目のことしか教育しなかったし、とりあえず全身をみれるようにと考えられていれば半年内科に研修にいく等ということもありました。また、教授同士が親しければその紹介で他の医局に研修にいくこともありました。このようにさまざまな方法で医師の教育がされたので、ある医師は色々しっているが、またある医師はごく一部の臓器しかしらない、等ということが頻繁にありました。極端な話し、循環器内科の教授でありながら不整脈のことしか知らない医師もいました。また、そのようなせまい見識が「専門家」という表札の元、正当化された時代が続いていました。

 しかしながら、時代も変わり、医師はある程度はどんなことでも対応できるようになるべきだという考え方が広まってきました。そもそも「医師法」には緊急時には専門科に関わらず患者対応をする義務が記載されていますが、その原点に返るような世論が湧きあがってきて、「専門家」が逆に否定されるようにもなってきました。そして、「万能な」医師の養成の必要性がとかれ、今まで各医局、各病院に任されていた初期研修を厚生労働省が管理する制度が始まったのです。

 このような社会のながれの中で、医学生にもいわゆる「全身みれる医者」、generalist、一般内科、家庭医などを目指す人が増えてきました。必然的に大学に残る学生が少なくなってきたのです。さらに、市中病院では大学からの派遣を期待するのが難しくなる将来に備えて各病院で医師を確保するために独自の方法で医師、研修医を集めるようになりました。これらの需要と供給がマッチして大学から市中病院へたくさんの研修医が流れていきました。

 これが初期研修医制度がもたらした大学から研修医が消えた構図です。また、大学が遅れながら新しい医局を構成するに至ったきっかけのようなものでした。

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