2010年4月8日木曜日

昔の話

では、なぜ医師は「属する」ようになったのでしょうか?

正確な年代は調べていませんが、日本は各都道府県に医学部を作って
各都道府県ごとにその医学部を中心として医療を推進しようという動きが
ありました。

その医学部が自分たちの都道府県の医療を責任を持って守ってきたわけです。
その医学部の中で、それぞれの専門科が都道府県(以下、県とします)内の病院に
医師を派遣して医療を行い、難しい症例や大きな手術などは大学病院へ紹介するという
システムをとってきました。これが悪くいわれることの多い教授を頂点とした医学部のピラミッドシステムです。

このシステムは「白い巨塔」などで代表されるように、悪くいわれることが多いのですが、このシステムのお陰で日本のどこにいても最低限の医療を受けることが出来て、また適切にさらに高度な医療を受けることができる病院を受診することができたのです。

この利点、恩恵を忘れては現在の医療の問題を語ることはできません。

勤務医はほぼ全て大学の医局に属して、多くは教授の人事で地方の病院などに転勤となり、
また大学病院に戻ったり、などを繰り返して最終的には開業したり、地方の病院の役職についたり、大学に残って教授などになったり、と分かれていったのです。

この人事が教授の独裁となることで権力が集中し、所属する医師が望みどおりの研修や研究、臨床ができなくなるという医局が増えてきたのが大きな問題でした。

しかし、所属する医師も医局に属することで、職の安定、学位修得など大きなメリットもあったことを忘れてはいけません。繰り返しになりますが、この県ごとの医療体制のお陰で、地域差の少ない医療の質を保ってきたのです。

おそらく、世界中探してもこのようなシステムはあまりみられないと思われます。

では、なぜこのシステムがうまくいかなくなったのでしょうか?
教授を頂点としたピラミッド型のシステムが「白い巨塔」のような極端な例を除いても評価されなくなったのは何故でしょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿